Art and Face

アートの輝きを見つけるブログ

久しぶりにクロッキーしました


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電車の中で久しぶりにクロッキーをしてみましたが、あまりに形がとれなくて、「腕がなまった」と落ち込みました。
努力は続けないといけません。今日は買えったらやりかけの油絵に手をいれなくては。
クロッキーに関していいますと就活のとき、デザイン会社の方から「これ描けてもね」と言われたので(まぁデザイン会社ならそうですよね。あたし丁寧な作業とか、デザインとかできないし)なんとなくトラウマ。
トラウマは他にもたくさんあるがそのうちのひとつになっていた。
しかし、それでせっかく楽しいクロッキーを避けるようになったらいかん。クロッキーの楽しい部分を思い出したいと思う。


PRADOプラド美術館展スペイン宮廷美への情熱

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東京丸の内三菱一号館美術館へ、「PRADO プラド美術館 スペイン宮廷 美への情熱」を見てきました。
仕事でバテバテになり、休日がない上に、たまにある休日も寝て過ごしてしまうこの頃。
起きたのがお昼でしたがそのおかげで体が回復したので、ルネサンスやら、バロックやらの絵画で癒されたい気持ちを抱え美術館へ。
 
鑑賞していて「どれも素晴らしい」とはなりませんでしたが、有名どころはやっぱり素敵でした。三菱一号館美術館は内装がお洒落な上に東京駅から地下街を抜けて歩いていけるので、いきやすくて助かります。また丸の内あたりはお洒落で、カフェなどもたくさんあるので、買い物などのお出かけにはちょうどいい美術館です。
 
美術館内のお客さんもなんか一味違って、家柄の良さそうなご夫婦、好みな感じのイケメン、明らかに不倫カップル(お金持ち)などがいて、「丸の内だわ」という雰囲気。
 
 
利便性がよく、お洒落なデートスポットとしても、絵画の勉強をしてる人にとってもありがたい美術館です。
 
作品について
特に好きだったのが、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490年頃ー1576年盛期ルネサンスヴェネチア派(イタリア人))の「十字架を担うキリスト」(1565年頃の作品。つまり晩年)でした。人物の入りが綺麗で、描写もかっこいい。キリストの顔もイケメン。辛そうな感じも良く現れている。腕が太いのに柔らかく描かれてているのも好感度が高い。上にいるおじいちゃん(キレネ人シモネ)の髭がふさふさしてる様子もすごくきれいでした。(晩年の作品なのに、若さがみなぎっているので弟子が描いた気がしなくもないのですが…)
とりあえず印象に残る作品でした。
 
またスペインのエル・グレコ(1541年ー1614年)の作品「エジプトへの逃避」「受胎告知」も小さくて味わいやすく良かった。服や地面や石畳の書き方が情感があってかっこよかった。油絵の良さがたっぷり味わえる作品。
 
ルーベンスもめちゃくちゃ巧い上に華やかで、神がかってました。
19世紀の画家でマルサルの作品も綺麗で良かったです。
だいぶ癒された。しかし作品点数が多すぎるので、見ていてだいぶ疲れた。点数を少なくしもう200円安くしてほしい。

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こんなに近くにあるのに芸術は届いてなかった


極論または短絡的、感情的と感じる方もいると思います
 
私は今回のエンブレム騒動を受けて、毎日落ち込むわけだが、そうやっていろいろ自分で考えている中で、思ったことは「世間がこんなに美術に関心がないなんて…」ということだ。
 
著名な人のこの件のブログを読んでいるとあきらかにデザインをやっている人とそれ以外で確執があるようなのだ。
 
私はエンブレム事件があるまで、このことが身に染みてわからなかった。
 
これだけ美術とそれ以外の人に確執があったら、画家や彫刻家など、アーティストの生活は苦しいはずだと思う。
 
 
芸術やデザインを自分の感覚で、根拠や核心を持って判断できる人は数限りなく少ないのだ。
だから世間は「説明」を求めるのだが、そもそもデザイナーなんて、世間で言うところの説明は、言われているほど得意じゃない。
 
「口で言えないので見てください」なのだ。
 
 
そして、デザイナーといえど、アーティストでもあるために繊細な人が多いのだ。今回のように「見たうえで批判されている」「目で分かるように過ちを突きつけられた」また「自分のアイディンティティをこめた作品を否定された」ら、もの作りをする人は基本自信なんてないので、もう生まれたばかりの子鹿より繊細な状態になる。
 
今世間は、生まれたばかりの子鹿を機関銃で撃って、「ほら子鹿なんだから立てよ」と言っているようなものなのだ。。
 
デザイナーの心は広く、平和的。
ある記事で、以前あった理科学研究所のトラブルと今回の件を比較し「今回の件は社会的判断ができる人間なのに我が身に甘く、自己愛が強い」といっていた。
しかし、デザイナーは海外でも仕事をすることが多いので、日本にある「誤解されたままだが、自分より大きなものに向けてとりあえず謝る」という美学は非常識なのだ。
自分も他人も大切にできる人だからデザイナーができる。
彼らは他の人が喜ぶことを考えているし、自分が嫌だと思ったことはしない。相手にも自分にも平和なのであり、「自己愛がつよい」のではない。
それが強みになってきたし、幸せのもとなのだ。
 
綺麗だったり素敵なものが好きだから、それを見つけたら大好きになるし、大好きなものであったら自然と手から出てくる。
自分のフィルターを一度通して、努力の積み重ねで再構築しているので、パクリだとは思わない。
誰かに「パクリ」と言われたら驚くし、すごく傷つく。
 
実際に「かっこいい!」「すごい」「キレイ」と引っかかったものが、各表現者のフィルターを何度も通ることで、美術は成長しているのだ。
 
「好き嫌い」の世界なのだ。ただそれは
 
「好き」→「取り入れる」→「好きを自分のフィルターを通して磨いて出す」

「嫌い」→見たくないから、意識から排除する。
 
である。しかしそれでふるいにかけられて確かに成長してきたと思える。
ちなみにフィルターを何度も、何度も通した人たちが行き着く感性というのがあり、それで「いい」「わるい」はある程度専門家の間で共通できる。
 
この「フィルターを通して美しくする」という仕組みは、程度によるが現在の社会的なモラルになかなか受け入れてもらえない。
なぜなら流通、伝達が成長した今、アイディアで生む利益は莫大だからだ。個人のアイディアは利益を生むから守る、とするなら当然これは著作権などで保護されるべき。
 
しかし「フィルターを通す」以外で美術は成長できない。
美術の成長だけを考えたら、むしろすごく邪魔だ。
そして「好き嫌いの」世界で生きている人は、なるべくもっと美しいものを生み出したいと思っている。
だからフィルターに遠慮なく通すが、それを他者から「パクリ」なんて言われたら「自分のフィルター通したよ!」で納得できないし、繊細なので傷つく。
 
あとなぜか著名人ブログなどで「私たち(一般人)には(美術は)分からないと馬鹿にしている!」という意見を、美術をやっていない人が言っているのを目にするのだが…。
 
それは違う。
デザイナーも芸術家も「分かって欲しい」と思っている。
デザイナーや芸術家などの、アーティストは繊細でめんどくさくて、自信がない。だから綺麗なものが生み出せ、かっこいいものが何か分かる。
そしてアーティストだって人であり、アーティストにしか分からないものなんてない。
 
ここで誤解が生まれるのは、美術家たちが繊細でこれまで自分たちの気持ちを言葉で伝えれなかったからだと思うのだが…。
かくいう私も自分の作品が批判されたり、見た人の反応が薄かったりしたら、一か月はフラッシュバックして、鬱状態になる。しかも褒められても「本当かな?」とか思うわけである…。
 
一方で美術やっていない人たちも、偉い人、著名な人が「良い」と言った作品をみて「感動」するよりも「不安」を感じていたようで、今回の事件でよりこれを感じて、私は衝撃を受けた。
 
そう思うと今までもそういうことはたくさんあって、例えば美術関係の勉強をしてない友人と個展や展覧会にいくと、私が「あれは素敵だけど、これはあまりタイプじゃない。きゃあ(/▽\)♪ぁこの表現かっこいい!やばい!たまらん」と言ってるのに対して、友人は「はぁ」と言う感じだったり「まずい私わからない?」と言う感じだったりする。
 
「私なんかにはわからないよ」「私なんかが感想いえない」とか言う感じだ。
 
ちょ、ちょっと待ってよ!
 
分かるよ。ただの人間の絵だよ!
それにだれのために芸術はあるの?芸術はあなたに問いかけて、あなたを磨くためにあるんだよ?画家のためにあるんじゃないよ!
誰が描いた作品もあなたのために存在してるんだから、まずは自分の心のフィルターを通して、ほかとの違いを比べて、磨いでいきなよ。利用しなよ。
 
それが積み重なったらあるときいきなり「あれ世界ってこんなに綺麗だったか?人ってこんなに深くて魅力があったか?」と気づいて、そうしたら貴方は自分だけの評価を持つんだよ。
 
ということなんだが…。
 
たぶん「わからない」
ということが、確執を生んでいるのだ。
アーティストにしたら、自分が裸になって表してるものを否定されたらこわい。
たがら「どうせ、わからないでしょ」と防衛戦をはっている。
アーティストはただたんに自信がないのだ。自分の作品に自信がなくて「私にも私の作品がわからない」状態なのだ。
(だから、こなれて来ると理詰めが上手くなる。「私にも私の作品がわからない」は本人も辛い。だからこの線は○○な意味で引きました。とか言えるようになったり、言える絵を描こうとするが本当のところは100%そうでもない)
 
また見る方も
「なんだろこれ?わからないけど、わからないといけない気がする。この画家さんに悪い気がする…無表情だし…(ただたんに自分の作品に自信がないから、小難しい顔をしているだけだが…)」
「わからない」のだ。
しかし、分からなかったら聞けばいいのだ。
「これはどんなところが素敵なんですか?」と。
 
アーティストはここでメンタルをやられてはいけない。
 
作品を作った高揚感を持って、「これはですね!ここがこんなふうに素敵なんですよ!」と自画自賛をして始めて、意思疎通が生まれる。
見る人も、描く人も自信が生まれて美術が楽しくなるのだ。
 
だから欧米ではアートは発展しているじゃないか!
 
あいつらは多分自画自賛しているはずだ。
私も今まで、傷つきたくなくて、自分の作品をよく思わない人がいたらあまり関わりたくなかった。
でも、
「ちょっと待ってください!これはここの筆の入れ方が美しく、芸術的で楽しいんです。ほらしっかり見てください。まるで古代ローマを旅したみたいな気持ちになってきたでしょ?それがわかったら貴方は私とこころの友です」
 
と言わなきゃいけなかったんだと思う。
 
もうデザイナーやら美術家は自画自賛をしよう。
じゃないと相手も安心できない。
 
エンブレムの件も、もうネットで何を言われてもいいから、自信を持って自画自賛をして欲しいのだ。
「似ている作品がある?知ったことか!ちゃんと自分のフィルター通しているよ!ほら、ここの部分みてよ!これ描いたときさあ〜ふわっと夕日が目の前に浮かんできてさ〜それで黒とかでまとめてさ、そうしたらかっこいいじゃん」である。
 
審査員も「なんで何度もやり直させたかだって?基本はいい感じだったけど、今までの俺の経験をアドバイスしてさらに良くしてやっただけだよ。
じゃあなんで自分で作らないのかだって? これは五輪のデザインだぞ、国家をかけたデザインは、いろんな目と手が入った方がいいにきまっているだろ!デザインというのはな、自分以外の“もの”が発する魅力をいろんな人のフィルターを通せばさらに良くなるものなんだ!だから原案があって、実力のある審査員のフィルターもいれて、しかし基本は提出者の感性で直してもらったというだけだ。これは“美”を究める基本の技術だ!
なら他の作品も加筆すれば良くなるだって?他の作品より、加筆修正してグレード上げたい作品だったから選んだんだ!」
 
極論と感じる人もいるかもだが私の感覚で言えば、こう納得できる。
きっと自分では気づけないけれど、絵画の人よりの意見でしょうね。
 デザイナーが見たら「ちがう」となるかも。
 
 
 
 
 

私はいま悲しい。

私はいまとても悲しい。

こんなに悲しく落ち込むことはなかなかない。

 

最近はネットニュースを半日ごとにチェックしている、限界はあるがいろいろな人の記事を読む。

アートを愛するものとして、こんなに悲しかったことはない。

 

もちろんこれはオリンピックエンブレムの件で落ち込んでいるのである。

言葉でなぜ落ち込んでいるのかを話すのはとても難しい。

しかし、やっぱり示しておきたい。

 

「いじめ」という言葉がある。

これは一人の人間を大多数の人がよってたかって否定することだと私は思っている。

一つの満盈している考え方で「いじめはいじめられる方も悪い」ということを言われることがある。

いじめられる人がいじめられる前に、他の人から見て「おかしい」「間違っている」といわれることをして、大多数の賛同が得られた場合「いじめられる方も悪い」という言葉が生まれる。

しかしこれは明らかに一方的な考え方だと思う。

「おかしい」「間違っている」は普遍的に変化する。

例えば、ある人には簡単にできることでも、ある人は簡単にできないことがある。

何か「おかしい」と思ったら、「ではなぜこの人はおかしいことをしたのだろう?」と相手のことを考え、一緒に解決することが大切である。

よってたかって、多数でいじめをはじめていい理由にはならない。

 

エンブレムの件もそうだ。

個人的には、あのエンブレムはパクリではないと思う。

「パクられたかもしれない」と言われている劇場ロゴは黒のなかにエッジの効いた形でTを表すことで、シンプルでシックな印象を表現している。

もしパクるとしたら、「黒のなかにエッジの効いた形でシンプルに魅せる」という部分をパクる。

 

しかし東京五輪のエンブレムは「シンプルな形がバランスよく配置されつつ、黒や赤、金、銀のポップな色合いを最小現につかい魅せる」という表現をしていると思う。

 

そもそもの生み出される、手順が違う作品だと思う。

 

 

そのほかの仕事では、間違いがあって、それは当事者間で話し合われる事例だと思う上に、業界全体で改善しなくてはいけないと思うが

「過失がある人間」は「罪もおかしている」というのは納得ができない。

 

今、責任を求められているデザイナーに私はこれ以上の説明責任はないと思う。

 

もしほんの少し自分の言葉を話しただけで、数千人の人の批判の目が向けられると感じ、そのなかには「そうかもしれない」と思える意見もあるが、明らかな悪意のある言葉も含まれていたら、限界状態でそれを受け止めることなどできない。

「少しでも動いたら殺される」そんな状態で「仕事だ、責任があるから動け」といっているようなものである。

 

むしろ私は

責任があり、希望があり、誇りがある人が、そのすべてができない、捨てなければいけない状況にまで追い込まれてしまったことが悲しい。

 

「あの作品に似ているものがある」「似ている作品の人が訴訟するといっている」という話が出たときに

「私たち日本のオリンピックで選ばれたデザイナーは人の作品のまねをする行為はしていません」とどうして言えないのだろう。

「日本の恥」だというなら、私はこの部分が恥だと思う。

自分たちの身内を愛せない、信じられない、こんなに悲しいことがあるだろうか。

そう言う声が上がっていいほどに、彼はこれまで日本人のお茶の間を楽しませるデザインをしてきていると思う。

 

どれだけの日本人が彼の作品を見て、彼の作品だと知らずに「かわいいな」「おもしろいな」「楽しいな」と思ってきただろう。

喜びはアイディンティティを築いてくれる。

何気ない日常の誰かの創作一つ一つが私たち一人ひとりのアイディンティティを築き、文化を育んでいる。

 

その文化を信じるどころか疑っていいのだろうか。

 

行ったこともない劇場の、知らない人の声に私たち日本人が、愛すべき人の声よりさきに耳を傾けてよかったのだろうか。

 

「まねされたかもしれない」人が怒るのは当然だ。

「まねかもしれない」と運営する側が調査をするのも当然だ。

 

でも「誤解です」「誤解だと願っている」という国民の声があまりに少なくないだろうか。

 

 

この後、この問題はどう転ぶのだろう。

願わくば、まったくこの事体を無視した作品が登用されるのではなく、この事件を包み込んだ作品が東京オリンピックの象徴となってほしい。

 

自分たちを見つめ直す最高の機会だと受け止めて、オリンピックとデザインがこの事件をもとにさらに輝いて欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

架菜梨案個展 Rendez vous sur l'Horizon (地平線で会いましょう) を見て

こんばんわ。

夜映画を見ながら、ブログを更新。

 

昨日は残暑の気配が美しい日でした。まだ秋の香りはまったくないですが、夏が終わる準備を始めているような気配を感じました。

 

そんなさなか、大学の友人2人と架菜梨案個展 Rendez vous sur l'Horizon (地平線で会いましょう) にいってきました。

場所は六本木の禅フォトギャラリーです。

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架菜梨案の作品は、私は個人で一枚購入して玄関に飾っているほどファンですが、今回の個展はさらにパワーアップした彼女を感じることができました。

彼女は現在フランスに留学中で、パリとニースで過ごした時間が彼女の作品をさらに美しく楽しいものにしたようでした。

 

一緒に行った友人の一人が「生きる喜びにあふれている作品」と言っていましたが、まさにその通り。

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小動物や植物、人、なんだかよくわからないものなどが楽しそうに過ごしている様が見ていて楽しいです。(うまく説明できないですが、写真を見てもらえば一目瞭然v)

 

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淡いクリームのような下地から、種から花が咲くように自然に美が発生しているのが、とても素直で愛らしさに溢れています。

現場でみて輝く作品は以外に少ないですが、カナリアの絵画は必ずし実際に見た方がいいです。

 

 

 

 

下記 カナリアフェイスブックより

8月8日~20日(うち13~17日夏季旧廊)ZEN FOTO Galleryでは5度目の個展を開催させていただきます。
20点ほど絵画を展示する予定です。

8/8(sat)-8/20(thu) 
Opening Party 8/8(sat) 18:00-20:00 
8/13-8/17 夏季休廊

ZEN FOTO Gallery 
106-0032 東京都港区六本木6-9-9ピラミデビル2階 
12:00-19:00 
080-4652-7058 amanda@zen-foto.jp 
www.zen-foto.jp

Rendez-vous sur l'Horizon
地平線で会いましょう!

ぜひ遊びにいらしてください♪

いろいろ展覧会といきましたが、その前に自分の絵画のサイトを更新しました。

自分の絵画のサイトを更新しました。

tkhskor Official Website

 

画質が悪いですが、もう少し画質をあげなくては…失敗した。

「絵画を抱きしめて」前期「絵画との出会い」(SHISEIDO GALLERY)をみて

画廊に行くまで

8月1日(土)、その日は朝から仕事で、猛暑のなか東京まで外出。夜には神奈川の至るところで開催される花火大会の一つに参加する予定でいました。

昼に仕事が一段落したものの、あまり時間もないなか「絵がみたい」と思いました。
とりあえず「美術館.com」で展覧会を検索。すぐに行けて、それほど鑑賞に時間がかからないところを探し、見つけたのが資生堂ギャラリーの「絵画を抱きしめて」でした。銀座の中央通りに画廊があるので、行きやすく無料の画廊なので、そのときの私にぴったりでした。
 

若手作家の鮮やかな絵画

「絵画を抱きしめて」は阿倍 未奈子さん、佐藤 翠さん、流 麻二果さんの三人の女性画家の展覧会。

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フライヤーを見る限り、どれも作風が美しかったので拝見することに。
 
 
資生堂ギャラリーは銀座の中央通りにあるので、休日は歩行者天国にもなっており、とてもアクセスが便利です。
会場は撮影が禁止されていましたので、会場内を見せられませんが、資生堂ギャラリーは入館料無料の展覧会としては毎回すばらしい作品を並べます。
 
今回の作品も、鑑賞すると気持ちのよくなる作品が多かったです。
※下記で作品が見れますので、よければ別窓でご覧ください。

www.vogue.co.jp

特に阿部未奈子さんの作品はマスキングテープとローラーで描く風景画がすばらしかったです。
風景を描こうと思うとき、遠近法等を使って、遠くと近くを感じさせることは簡単ですが、彼女の作品は遠くにいったときの「かすみ」の表現が素敵でした。
中国画や日本画などには、「遠くの感じ」がよく表現されますが、マスキングを使ったくっきりとした色合いの中でそれをできるのは、全体のバランスの良さだと感じました。近くの雰囲気、遠くの雰囲気が私も絵を描いていて難しい所ですが(むしろ私は全くできないので、途中で無理矢理やってしまい、あれ?となります)
この作品はそれが上手く出ていて、見ていてあきないとも思いました。
また色味も美しいし、「風景画」ですが、ミステリアスな部分もありそれが素敵でした。
 
 
佐藤翠さんの作品は、靴が並べてある「camellia cioset Ⅰ」が立体感が感じられて好きでした。
「camellia cioset Ⅱ」は個人的に鞄にかかっている「たらし」が処理しきれていない感じも受けてしまいましたが(完全に好みですが)、大画面の中で、描写が美しく、スカーフの色味も美しかったです。
「camellia cioset Ⅰ」は下部の花の描写よりも上部の靴の描写が好きで、線に美しさがある作家さんだと思いました。そうやってみて見ると画面が線で構成されている様な気がしてきて、ポップなモチーフを書かれていますが、すごく実直な印象を受ける絵でした。“女の子が好きなものが描かれた”という作品としてより、“油絵の魅力が詰まった”と言う作品として見てしまう所が、私のかわいげの無い所です。
 
 
流 麻二果さんは大画面で美しいですが、一番好きだったのが入ってすぐにあった小さい作品でした。※作品名書留忘れました。
それは画面のなかに筆と意識が均等に入られていて、部屋に飾りたくなるような作品でした。大画面の作品は個人的に色味が好みではなく、描かれている形が不安定なのもあり、あまり好きではなかったです。
ただ4つのキャンバスをつなぎ合わせているにもかかわらず。スケール感があったので、力強い作品だとは思いました。
また作家自身のなかで、決められた法則がある様子もひしひしと伝わってきたので、エネルギーのある作品だと思いました。
 
※色々言いましたが、個人的な感想ですので、ポジティブな部分だけ捉えてもらえると助かります。
 
 
 
この展覧会は前後期に分かれていて、これから作品替えをして後期が始まるそうです。
私は後期も見に行きたいと思います。
スタンプラリーで得点がもらえますしね…

www.shiseidogroup.jp


会期/Part1:「絵画との出会い」 2015年7月31日(金)~8月23日(日)、Part2:「絵画に包まれて」 8月28日(金)~9月20日(日)
会場/資生堂ギャラリー 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下 1階
開催時間/11:00~19:00、日・祝 11:00~18:00
休館日/月(祝日にあたる場合も休館)
入場無料
Tel./03 -3572 -3901