Art and Face

アートの輝きを見つけるブログ

「考えは言葉になり」 最近思考したこと

涼しくなってきた今日この頃、秋の虫の声も聞こえるようになりました。

 

三連休は映画を見て過ごしています。

数本の映画を鑑賞しましたが、その中で『マーガレット•サッチャー 鉄の女の涙』でサッチャー首相の名言を知ることができました。

「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」という言葉です。映画を見る前ににも、なんとなく聞いたことがある言葉だったので、有名な名言なのだと思います。

こういった言葉が出てくるあたり、行動力があり、厳格な方だったのだろうということが伝わってきます。

 

これを聞いて思ったのは、私は「考えを言葉に」していることが多い人間だと思ったことです。

人間関係の中で、自分の主張をはっきり述べるので、衝突を生むこともよくあります。

(「言い方」が衝突の原因になっていることも多いので、そこは直さなくてはですが…。)

「考えは言葉になり」

サッチャーの言っていることとは少し違う気もしますが、私はよくおかしいと思ったことを「おかしい」と言います。また「それはできません」「ここを変えてください」など、拒絶の言葉もよく口にします。

 

しかし私の感じている「おかしい」「できない」は本当に「おかしく」「できない」ことなのか…。確信が持てず、再考することもあります。

私の考えている「おかしい」は本当に「おかしい」のだろうか?

私の考えが甘いだけなのではないだろうか?

 

そういったことを考えているとき、多摩美術大学である絵画の教授から聞いた話を思い出しました。

「芸術家はカナリアである」と言う話です。

洞窟や炭鉱に足を踏み入れる際に、昔(今でもという情報もあります)はカナリアを籠にいれて一緒につれていったそうです。なぜならカナリアは毒ガスなどに敏感で、人間よりも早く症状が現れ死んでしまうからだそうです。弱いカナリアが人間よりも先に、危険を知らせてくれるということです。

「芸術家はカナリアである」というのはこのカナリアにちなんで、「私たち(芸術家)は危険をいち早く敏感に感じている人々なのだ」ということです。

確かに芸術家になる人、なりたい人、興味がある人は、もともと感性が豊かであり、敏感で、考え方によってはとても弱い人間だと私は思います。

人の言葉に傷つく、自然を見て感傷的になる、自分のあり方にいつも迷いを持っている。だからこそ、表現できるし、表現することで自分の存在を保っています。

争いが嫌いであったり、人との駆け引きが苦手な人も多い印象です。(もちろん一概には言えません)。

 

しかし弱いからこそ、自分の主張をはっきり言う(もしくは作品に込める)人も多いような気がします。

政治批判や戦争批判、社会への批判。

 

あくまで、一つの仮定ですが、

私は本当に強い人は批判をあまり口にしないと思います。

強い人は強い人だからこそ、批判される側に身を置いていることが多いような気がするからです。

逆らわず、ただ黙って、目的を果たし、出世し、人を管理する立場に身を置いているのではないでしょうか。

 

芸術家は批判をする割には、「では自分が政治家になろう」「力で正そう」などは考えないし、やりません。そんな環境に耐えられる強い人間ではないからです。

 

しかし、「これがおかしい」「これがやだ」と叫ぶ芸術家はただの弱い人間かというと、それだけではないと思います。

強い人が気づけない、気づかないうちに犯している過ちを敏感に察知しているカナリアなのです。

 

その点、もしかしたら私も(曲がりなりにも芸術を勉強してきた立場の人間なので)、他の人よりも危険を敏感に感じ取っているのかもしれない…。

 

手前勝手にそう思ってみたりもしました。

 

しかし、本当にただ文句を言っているだけでは、ダメだとも思うので、「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」という名言通り、

 

言葉を行動にうつし、習慣にできるように頑張らなくていけないですね。

しかし、そうするとやはり意見が合わない人とは、対立が深まってしまうのかもしれません。

ここは芸術を学んだ人として、自分を上手に表現しなくてはいけないですね。