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アートの輝きを見つけるブログ

fish京子ちゃんとは何者か? fish京子ちゃんプロジェクトを探ってみよう!

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『fish京子ちゃんプロジェクト』(フィッシュ京子)とは…。
ミニスカートのイタリア人系日本人のfish京子ちゃんとその子どもクララが反原発や食の安全などを訴える風刺マンガ『fish京子ちゃんKY劇場』(著:amigo 発行:株式会社 象鯨)が元になり、始まった美術活動。生みの親であるamigo氏をはじめ、賛同したアーティストたちが『fish京子ちゃん』を題材にした作品制作を行い日本全国で展覧会を開催している。この風変わりな展覧会について、発信者でもあるamigoさん(西村浩幸さん)に詳しくお話をお聞きした。

 

震災から生まれたfish京子ちゃん
作家の思いがつまった4コマ


-fish京子ちゃんは、多くのアーティストが賛同し、沖縄をはじめ、鹿児島、福岡、東京で展覧会を開催するビックプロジェクトですが、誕生のきっかけを教えてください。 
初めは気軽な気持ちで描き出しました。僕は週に1日、横浜システム工学院専門学校という専門学校の情報デザイン科で絵を教える講師をしています。3年前の東日本大震災があった直後、生徒とみんなで「せっかくマンガを描くなら、震災に関連したメッセージ性のあるマンガを描こう」と言い出したのがきっかけ。そして福島原発を題材に描いたマンガが『fish京子ちゃん』でした。
僕はそれまでマンガを描いた経験がないので、とりあえず京子ちゃんのイメージは「ミニスカートの可愛い女の子を描こう」ぐらいの気軽な気持ちで思いつきました(笑)。
でも、描くならば、しっかりした内容のものにしようと「これは間違っている」と以前から疑問に思っていたことを、マンガにしたんです。
今では「疑問を持ち、自分で考え、自分で行動する」

ということを主軸に反原発や食の問題、過剰介護など、

さまざまなテーマで作品制作をしています。

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周囲の思わぬ応援が後押し
ミュージシャン『けもの』さんとの出会い


-4コママンガから、現在のさまざまなアーティストが賛同し展覧会を共同で開催されるプロジェクトとして、発展した経緯を教えてください。 
最初は僕が描いたマンガをFacebookTwitterを通して発表していただけでした。そうしたら、沖縄の知人がそれを見て「fish京子ちゃん、おもしろいから沖縄で展覧会しよう」と言ってくれたのが展示を始めるきっかけでしたね。
また、それとは別にfish京子ちゃん4コマ漫画を描きだした年のクリスマスに僕の自宅に併設されている展示室で「けもの」さんと言う歌手のライブをやりました。
『けもの』さんはたまたま置いてあった『fish京子ちゃんKY劇場』を読んで、とても気に入ってくれて、その場で「fish京子ちゃんテーマA」が生まれました。その後「fish京子ちゃんテーマB」も作られ沖縄展でライブをする事が決定。
ここまで来て「ちょっと本気でやらないと怒られるな」と思いましたね(笑)。だからfish京子ちゃんは周囲の方々の思わぬ反響が原動力になりプロジェクトにまで発展したんです。そして、どうせやるなら「美術を広めること」をテーマにさまざまなアーティストを交えたプロジェクトにしようと思ったんですね。
そこで僕が代表を勤める美術家集団『象鯨』に所属し、fish京子ちゃんのテーマやキャラクター性に共感してくれたアーティストたちで、一緒に展覧会を開催することにしたんです。それが『Fish京子ちゃんプロジェクト』の幕開けでした。

 

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友人たちの協力を経て
沖縄・鹿児島・福岡・東京で展覧会を開催


沖縄展は独特の風土も相まって、当日はたくさんの方が訪れてくれる、とてもいい展覧会になりました。そして、その展示を見てくれた鹿児島の知人が「今度は鹿児島でやらないか」と声をかけてくれて、翌年2013年の5月~6月に、今度は鹿児島で2回、展示をさせていただいたんです。ワー
クショップなども同時に開催して、こちらも大成功。そこに福岡在住の画家・田中千智さん、齋藤一樹さん夫妻が来てくれて「福岡でもやってくれないか」と誘っていただきました。田中さん自身にも作品を出品していただき、福岡でも展示会を行うことができました。

そうした、友人・知人からのご好意であちこちで展覧会を開催することになりましたね。また以前から、僕の彫刻展を開催してくれていた渋谷の『ギャラリーTOM』でも、展示を開催させていただき、そちらでもたくさんの方に訪れていただけました。

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様々な作家が京子ちゃん作品を制作
異なる技法や芸術性が楽しめる


--5月下旬には四ツ谷三丁目の「CCAA」で今年初めてのフィッシュ京子ちゃん展が開催されますが、見所を教えてください。 
『fish京子ちゃん展』の見所は僕が描いたものだけではなく、fish京子ちゃんに賛同してくれたさまざまな作家の作品が一同に集まるところですね。技法や芸術性など、同じテーマでも作家により受け取り方がそれぞれ異なるので、そういうところに注目して見ていただいてもおもしろいと思いますよ。
展覧会のDMやチラシなども、知人のデザイナーが腕によりをかけて作成してくれています。細部にまでこだわって展覧会が作られていることと、様々なアーティストが同じテーマで作品制作をしているという点がfish京子ちゃん展の一つの見所になっています。

 

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ギャラリーTOMで行われた「fish京子ちゃん渋谷ギャラリーTOM展」

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福岡展展示風景

 

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福岡展で開催されたアーティスト『けもの』によるライブの様子

☆2012年fish京子ちゃんプロジェクト結成以降の展示
2012年 7月 沖縄県恩納村。初展覧会
2013年 5月 鹿児島県伊佐市
2013年 6月 鹿児島県垂水市
2013年 7月 神奈川県大磯町
2013年 8月 神奈川県湯河原町
2013年 9月 福岡県福岡市
2013年 9月 渋谷パブリッシング&ブックセラーズ
2013年11月 渋谷ギャラリートム
☆けものが歌うfish京子ちゃんテーマソングPV
fish京子ちゃんテーマA
fish京子ちゃんテーマB


☆fish京子ちゃんオフィシャルサイト 
http://www.zougei.jp/

最新情報や作品情報・購入については
こちらのHPをご覧ください。

 

 

ときの移り変わりを知ることで 現れる芸術性を追い求める 平川恒太さんに話を聞いて

 

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Artist 
平川恒太hirakawakouta

 

19歳のころから、数々の公募に入選し、多摩美術大学在学中には、すでにプロのアーティストとして活躍していた画家・平川恒太氏。
歴史や社会の問題に真っ正面から向き合い、現代美術と絵画の架け橋とも言える作品を日々生み出している。
今回は江ノ島に滞在し、地元の方に取材を行うなど、その場の歴史を深く追求し制作にあたる彼に密着取材。プロとしての使命感を内に抱き、活動を続ける平川氏だが、戦争をテーマに制作する理由は意外なものであった。取材日2014年5月30日江ノ島「儚き絵画の夢」制作の現場をお届けします。

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人の気持ち、息づかいを残せるメディア
絵画の可能性

―絵を描き始めたきっかけを教えていただけますか? 
父が芸術を好きな人で、よく美術館に連れて行ってくれたんです。だから小さいころから、絵画に興味がありましたね。見ていると子どもながらに好きな画家や好きになれない画家がいて、僕が特に好きだったのはクールベでした。

「画家になろう」と本気で決めたのは、予備校生のとき。東京ワンダーシードに入選して、それをきっかけに作家友達がたくさんできたんです。みんなすごく苦労して作家活動を続けていて、その姿を見て「本気でやろう」と決心が固まりました。


ー様々な表現手段があるなかで絵画を選んだ理由は?
僕は絵画はメディアとしてもとても優れていると思うんです。写真や映像は記録する手段としては優秀だけど、絵画はもっと様々な思いを残せる。例えば、藤田嗣治戦争画を見ても、筆の息づかいがまじまじと感じられて、いろいろな感情を読み取れます。

失われる記憶をつなぎ止める力が絵画にはあると思うからこそ、続けたいし、模索したいと思っています。

ただ今作の「儚き絵画の夢」出品作品では、今までと少し違って、映像で絵画を表現しました。「タブローの四角い世界のなかで描かれるものだけが絵画というのだろうか」と疑問を抱いて「絵を作っている過程を絵画と呼ぶこともできるんじゃないか」と考えたんです。

そのため江ノ島の風景や観光客を撮影したり、地元の方に取材を行い撮影すると同時に、海岸に落ちている漂流物から砂浜に絵を描いて、それが波にさらわれていく過程も撮りました。「儚き絵画の夢」では、取材した映像と制作過程を撮影した映像の二つを連動させて、江ノ島という場所を表現してみようと思っています。 

ー制作中、困難だった部分はありますか?
江ノ島は潮の満ち引きで、撮影できる景色とか、随分変わってしまうから、事前準備は念入りに行いました。でも実際に始めて見ると考えもしなかったアクシデントはたくさんありました(笑)。例えば撮影中に浜辺に清掃が入ったりして、「あとで片付けるんで、ここだけは待って下さい!」とお願いして、なんとかなりましたね。

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砂浜に絵を描く平川氏

 

現地を見つめる目線は「観光者」として
自分の立ち位置を捉えて


ー取材対象はどのように選ばれていますか?また、始めたきっかけは?
取材対象は日々の生活で知ったことのなかで直感的に選んでいますが、江ノ島 に興味を持ったのは、友人から江ノ島第二次世界大戦時に軍事要塞だったと聞いて取材を行った際、お土産物屋のおじいさんと知り合い戦中の江ノ島の記 憶を聞きインスピレーションが湧きました。

アーティストとして本格的に滞在制作を始めたのは、2014年春に沖縄で展覧会 をしたときからですね。沖縄の歴史や戦争体験のことは、19歳の時、初めて ひめゆりの塔を訪れ、戦争生存者の生の声を聞いた時から関心がありました。しかし、学んだ事をただ描く事等に抵抗がありなかなか作品にはなりませんで した。今年、沖縄での滞在制作が決まったとき、この機会にきちんと取材したことを作品にしようと決めたんです。

今までも制作のなかで取材みたいなことは自然とやっていた気がしますが、スタジオワークが多かった自分が滞在制作で現場のリサーチをしながら制作するというのは新鮮な体験でした。


ー取材を行うときに気にかけていることなどありますか?
僕はその土地で生まれ育ったわけじゃないから、あくまで外から来た「観光者」 という立場で作品を作ろうと思っています。土地の人の気持ちは本当の所分からないから、その立ち位置で作品を作ったら、どこか嘘っぽくなってしまうでしょ? 
反対に観光者という立ち位置をしっかり定めて、作品を作れば、土地に深く関わることが可能だと思ったんです。

今回の江ノ島でも、一観光者として撮影しているなかで多くの出会いや発見がありました。お土産物店の江ノ島で生まれ育った御年 80 歳のご主人には、江ノ島の裏手の岩場を案内してもらい、戦争の名残をたくさん見させていただきました。防空壕だとか、砲台址だとか、砲弾の穴など。江ノ島の戦中戦後の記憶 を教えていただきました。
取材をする中で現在の江ノ島とのギャップには考えさせられました。今は観光 地で賑わっている場所が、ちょっと前は日本軍の基地だったり、江戸時代まで は江ノ島詣でなどの信仰の場であったり.僕はこういう記憶をたとえ観光者的な立ち位置からであっても継承することが 今重要だと思うのです。

 

僕はもともと歴史が好きで、特に戦時中の記憶には深い関心があります。戦争をテーマとして意識しているというより、自然とそちらに意識が向いてしまうんですよね。

なぜなら戦時中の記憶って実際に体験した人から、話を直接聴けますよね。縄文時代の様子を聞けないのはしょうがないけど、教えてもらえば知ることができる世代の声に無関心なのはすごく寂しいと思うんです。

 


 
手を伸ばせば触れることができる歴史だからこそ、戦時中の記憶に手を伸ばしたいと思っています。 だって次の世代の人たちは、生存者の声を直接聞けないんですから、僕たちが語り継がなくちゃいけないことだと思うんです。

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(右写真)江ノ島の方にインタビューを行う平川氏


―最後に平川さんが画家として心がけていること、
また画家を目指す学生へメッセージをお願いします。
僕は毎回の展覧会に向けて120パーセントの力で制作を行っています。100パーセントじゃなくて、120パーセント。とことん頑張ってやったことって、例え失敗してしまても必ず何かが自分のなかに残るんです。発見だったり、次への活力だったり……。だからこそ、僕は毎回全力投球で、制作をしようと心がけています。

プロの画家を目指す人は、歴史をしっかり学んで、自分の立ち位置をまず見つけて欲しいですね。過去を学ぶと、今の時代の人間として、何をしなくちゃいけないのかを冷静に考えることができるし、何が失われたのか知ることができる。「次の世代に残すべきものは何か」が分かるようになると思うんです。そうやって先人たちが築いてきた歴史を継ぐことこそ、僕はプロの画家の役割じゃないかなと思っています。

今「美しい」とか、「きれい」とか、どんどん言葉が少なくなっているなーと感じて、そういうのに危機感を感じる。美しいものを、美しいと言えない価値観はやっぱり怖い。そういう心を育むためにも、芸術は必要で大切に守らなきゃ行けないモノだと思っています。

 

“儚き絵画の夢”
平川 恒太
前期:2014年6月21日(土)~7月6日(日)
後期:2014年7月12日(土)~ 7月27日(日)
12:00~19:00 月・火休廊
会場:Bambinart Gallery
東京都千代田区外神田6-11-14 アーツ千代田3331 B107
TEL:03-6240-1973

前期出展作品

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期出展作品

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展覧会の詳しい情報はコチラ

平川恒太プロフィール
1987 高知県生まれ
2006 埼玉県立大宮光陵高等学校美術科 卒業
2011 多摩美術大学 美術学部 絵画学科 油画専攻 卒業
2012 東京芸術大学 大学院 絵画専攻 修士課程 修了


【主な展示】 
個展
2014
「儚き絵画の夢」Bambinart Gallery(東京)
2013
「Trinitite ―けいしょうされぬ記憶と形―」Bambinart Gallery(東京) 
「GOLDEN COMPETITION 2012 大賞者展 ” 水のゆくえ”」Turner Gallery(東京)
2012 
「平川恒太展」アートフェア東京2012(Bambinart Galleryブース)(東京)
2011
「豊かな絵画と、豊かな世界」Bambinart Gallery(東京)
「FOXのちから」Bambinart Gallery(東京)
ANA MEETS ART」羽田空港ラウンジ(東京)
2010
「The Neverending Story -Hirakawa Kota Solo Exhibition」原爆の図 丸木美術館、埼玉
「平川恒太『考え・ない』」Turner Gallery(東京)
2009
「“人間、自然、社会” 平川恒太展」GALLERY at lammfromm(企画 bambinart promotion)
2006
「平川恒太展」Cafe lamp(東京)

グループ展
2014
東大宮アートフェスティバル」東大宮駅周辺施設(埼玉)
VOCA展2014」上野の森美術館(東京)
「Let’s Pink! 4」gallery ラファイエット(沖縄)
2013
「アートがあればII ─ 9人のコレクターによる個人コレクションの場合」東京オペラシティ アートギャラリー(東京) 
「トーキョーワンダーウォール公募2013入選作品展」東京都現代美術館(東京) 
「アートアワードトーキョー丸の内2013」行幸地下ギャラリー(東京) 
「東京、トウキョウ、TOKYO」Bambinart Gallery(東京) 
「損保ジャパン美術賞展 FACE2013」損保ジャパン東郷青児美術館(東京) 
「ゴールデンコンペティション2012」OAPアートコートギャラリー(大阪) 
「ゴールデンコンペティション2012」ターナーギャラリー(東京) 
2012
「Keep A Breast」表参道ヒルズ(東京) 
「NULL POINT」 東京藝術大学絵画棟1F(東京) 
2011 
「THE COLOR OF FUTURE」TURNER GALLERY(東京) 
「アートが山をのぼること」日蓮宗大本山清澄寺・釈迦寺(千葉) 
「第2回、道徳展」Art Center Ongoing(東京) 
2010 
「本郷芸術スター誕生」 AiCOLORS FACTORY(東京) 
「ひとひと」Bambinart Gallery(東京)
2009 
「道徳展」Turner Gallery(東京) 
「NEGAPOP展」シンワアートミュージアム(東京) 
「電車展」山手線外回り二両目(東京) 
「ヒーロー展」Turner Gallery(東京) 
「時々」Turner Gallery(東京) 
「混浴温泉世界 別府現代芸術フェスティバル2009」わくわく混浴アパートメント(大分)
2008 
「THE SIX」代官山ヒルサイドテラス(東京) 
「VIA ART」 シンワアートミュージアム(東京) 
「Curriculum Vitae 」ワダファインアーツ(東京) 
「群馬青年ビエンナーレ群馬県立美術館(群馬) 
GEISAI ミュージアム#2」東京ビッグサイト(東京) 
「東京ワンダーシード2008」ワンダーサイト渋谷(東京) 
「KOTOBUKI CREATIVE ACTION2008」(神奈川) 
2007
「THE SIX」赤レンガ倉庫(神奈川) 
「東京ワンダーシード2007」 ワンダーサイト渋谷(東京) 
「アサヒ・アートフェスティバル渡良瀬アートプロジェクト」足尾渡良瀬社宅(栃木) 
2006
GEISAI#10」東京ビッグサイト(東京) 

【主な受賞】
2013「アートアワードトーキョー丸の内2013」三菱地所賞、「FACE2013 損保ジャパン美術賞展」審査員特別賞
2012「ゴールデンコンペティション2012」ゴールデン賞(グランプリ)
2011「福沢一郎賞」
2009「ゴールデンコンペティション2009」優秀賞
2008「VIA ART2008」EFD KURATA賞、「東京ワンダーシード2008」入選
2007「東京ワンダーシード2007」入選

 

 

 

 

 

 

象鯨美術学院代表/彫刻家 西村浩幸さん

自分だけの技術と感性を磨く
芸術家の土台を作る

象鯨美術学院代表/彫刻家 西村浩幸さん

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プロの芸術家やデザイナーと出会える サロンのような予備校 
象鯨美術学院を運営

1985年に東京芸術大学卒業後、味わい豊かな彫刻作品を生み出し、数々のコンクールに入賞し頭角を表してきた彫刻家 西村浩幸氏。その功績は、作品制作だけではなく美術予備校で数々の優秀な教え子を排出してきた所にも見える。
2009年より、大手美術予備校から独立し、自身が代表を務める『象鯨美術学院』(大磯、横浜)を創設。小規模の画塾ながら多くの若者を芸大、美大へと導いていると話題だ。そんな『象鯨美術学院』設立の経緯、また他にはない特長を西村氏に詳しくお聞きした。 

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インタビュー当日 大磯校 講評会の様子 

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合格実績が伴い活気づいてきた2014年
横浜に新校舎を設立


―まずは『象鯨美術学院』設立のきっかけを教えてください。 
私はもともと、大手の美術予備校で20年以上講師を務めていました。大阪、東京、横浜とさまざまな場所で学生を教えてきましたが、大手の予備校で長く過ごすうちに組織のなかでできることに限界を感じ始めたんですね。そして、自分の画塾を立ち上げることを思い立ちました。長年、講師としてたくさんの教え子と出会い、いい講師陣も育ててきていましたから、独立しても十分可能性はあると思ったんですね。
そして施設の費用や生徒募集など、いろいろ苦労しながら、大磯と日吉に象鯨美術学院を設立しました。
近頃は中学校や高校などに訪問していたかいもあり、生徒数が増えてきているところです。何より何回かの受験シーズンを経て、合格実績が明確になりました。ここ数年、東京芸術大学をはじめ、多摩美術大学武蔵野美術大学など数多くの大学に生徒を排出してきました。それがきっかけになり、少しずつ象鯨の魅力を理解してもらえ、生徒が集まりやすくなってきているんです。
今年からは日吉にあった日吉校を横浜に移し、横浜校としてスタートしました。横浜という都心に校舎を開くことができ、生徒にとっても通いやすくなったので、より活気づいて受験に専念できる環境になると思います。 

[横浜校]

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2014年度より開校された横浜校。横浜駅からすぐのため通いやすい。

[大磯校]

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ギャラリーも併設されている大磯校は、さまざまな芸術家が交流に訪れるサロンでもある。


―象鯨美術学院の特長を教えていただけますか? 
象鯨には、縦と横の2つのつながりが大切にされています。
まず一つ目、横のつながりは“学科の壁がないこと”です。大手予備校では人数が多いために油絵学科、日本学科、デザイン学科、彫刻学科、工芸学科とそれぞれの学科に生徒が独立して分かれてしまいがちです。しかし、象鯨では、デザインの先生が日本学科を教えたり、油絵学科の先生がデザインを教えたりと隔たりがないんです。
それと言うのも、私はどの学科を目指していても芸大、美大受験に大切なのは、デッサン力と自分独自の感性を磨くことだと思っているからです。デッサン力と言うのは学科に関係ありません。感性を磨く上では、学科の隔たりは邪魔になるほどです。もちろん、同学科の先生にしか分からない技術もありますから、デザインの生徒にはデザインの先生が教えるときもしっかりあります。しかし基本は、先生は学科に関係なく教え合います。すると生徒同士も学科に関係なく交流し、仲が深まります。デザイン学科の生徒がゴッホに興味を持ったり、油絵学科の生徒がデザイナーの作品を参考にしたりと横の関係のなかで、興味の幅が美術全体に広がります。
大学でも他学科の生徒と交流を深める機会は以外と少ないんです。卒業生に話を聞くと、大学内でほかの学科に知り合いがいたり、ほかの学科の知識にも深かったりと言うのは大きな強みになっているようです。 


デザイナー、芸術関係者が集うイベントで
プロの仕事を間近で学べる 

 

2つ目、縦のつながりはOB会である『象鯨会』の存在です。私は長年講師をしてきて約1000人の教え子がいます。上は47歳から下は20歳の大学生まで、それぞれ美術業界で活躍しています。そういったOBたちが主体となった会が『象鯨会』です。つい先日は『象鯨企画会』というイベントが横浜校で開催されました。大手のデザイン会社で働いるOBや独立してフリーランスでデザイナーをしているOB、第一線で活躍している画家や彫刻家などが、それぞれの仕事や制作活動をプレゼンテーションして、お互いの仕事をつなげようと企画された会です。もちろん、横浜校と大磯校の生徒は全員参加。社会で活躍しているデザイナーや作家の話を身近で聞くことができました。

そういった先輩方の話を自然と聞ける環境のために、生徒たちは自分のやりたいことを自然とより深く考えることができているようです。

学科に隔たりがない横のつながりと、先輩と知り合い学ぶことができる縦のつながりの二つを築けることが象鯨の最大の特長ですね。 

[学院生活の様子]

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風通しのいい雰囲気のために、他学科の生徒同士でも交流を深めやすい。 
モチーフも趣向が凝らされている。 

[象鯨企画会]

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多くのOB、生徒が集まり、お互いの仕事をプレゼン。交流を深めた。 

先生の言うことは全てではない
大切なのは自分の絵を確立させること 

―技術指導について。特に重視されているデッサン力を生徒たちはどうやって磨けば良いのでしょうか? 
デッサン力と言うのは、「リンゴが描けるようになった。だから人物が描けるようになる」というものではありません。何枚も、何枚も繰り返し練習して、自分なりのコツをつかんでいくことで、全体として徐々にうでが上がっていきます。
だから4月に入塾した生徒たちには「毎日、“誰よりも描く”という気持ちを持て」と言っています。そして、自分の描き方を確立することですね。ある先生が「こうやって描くんだ」と教えたとしても、それが自分に合っていなかったり、しっくりこなかったりしたら、他の方法を試してみてもいいんです。講師の先生の描き方と同じ方法で上手くなるのではなく、自分の方法を見つけることが大切です。
それを基本として、講師の先生から学んで欲しいのは「この先生はどうして合格したんだろう?」というところ。先生方は実力があって、芸大や美大に合格していますので、その先生のどんな部分が評価されたのか? 学べる部分はどこか? と自分の目で見て、考えることです。それが後々、自分の力になっていく。
そういうふうに予備校生のうちから自分だけの力を磨くことを重視して象鯨では指導していきます。 
[象鯨美術学院 生徒•卒業生作品]

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西村浩幸氏プロフィール

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略歴
1960年大阪生まれ
1986年東京芸術大学卒業
1985年東京芸術大学安宅賞

ー受賞歴ー
2000年第6回鹿島彫刻コンクール入選
2004年第8回鹿島彫刻コンクール銀賞
2007年第10回鹿島彫刻コンクール奨励賞
2009年第11回鹿島彫刻コンクール入選
2010年第10回大分アジア彫刻展大賞
<象鯨美術学院の情報はコチラ>
http://www.zougei.com
象鯨美術学院の最新情報については
同学院のHPをご覧ください。
※西村氏は、amigoという名で「fish京子ちゃんプロジェクト 」の発信も行っている。

 

アーティストグループ 『すべては夏のために集合し、秋のために離散する』 『空き地/明き地』展

 

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アーティストグループ『すべては夏のために集合し、秋のために離散する』(以下、「すべ夏」)は2014年3月8日(土)~3月23日(日)の期間、『アタミアートウィーク』の参加アーティストとして『空き地/明き地』展を開催。 『すべ夏』は、多摩美術大学大学院油画科を今年卒業した、本田和葉さん、荒木美晴さん、田邉結佳さん、三津木陽介さんの4人で活動するアートグループ。
展示タイトルとグループ名の美しさに誘われ、3月の温かな陽気のなか週末の観光地、熱海へ取材に伺いました。

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空き地」を「明き地」へ
寂しい空間をアートで美しく

『空き地/明き地』展は熱海の商店街通りに、突如洞窟のようにポッカリと空いている“空き地”が会場でありテーマ。そこに色とりどりの三角旗(フラッグガーランド)が吊るされ、訪れた人の目を惹きます。奥に目を向けると、映像作品がループされ、手前には、お茶が飲めるスペースがありました。
「アタミアートウィーク」はもともと熱海の町の“空き店舗”や“空き家”をアート作品の展示スペースに活用し、地域の活性化につなげることが目的にアートイベント。そのなかでも“空き地”に焦点をあてた理由をメンバーの荒木さんにお聞きすると…。

荒木「熱海の町を歩いていると忘れ去られたような空き地がたくさん点在しています。地元の方々にとっては、ただの“空き地”だとしても、アーティストの目線で見たときに、“空き地”は美しい“明き地”になることができるかもしれないと考えました。「こんな場所があった」と地元の方が、地域の再発見をしてくれたら素敵だと思いました」とのこと。

特に今回の展示で印象に残ったことをお聞きすると…。

荒木「この“空き地”を展示場所に使ったことで、地域の人と交流を深めることができました。ここは昔、お店だったそうですが、火事があってからそのままになっている場所だそうです。幸い、けが人は出なかったそうですが、大きな火事で大変だったとお聞きしました。そうやって、少しでも会話が生まれたことが嬉しいです。でも、“地域”をテーマにあてた作品としては、まだ弱いところがあるので、今後このような機会があったら、もっと地域に根差した作品にすることも考えられると思います」。 

また、一人ひとり独立した作品発表を行っている4人がアートグループを組んだことに意外性を感じ、発足の理由をお聞きしたところ…。

荒木「まったく違う感性を持った4人が、一緒に作品を作ることで、お互いの作品制作の刺激になるからです。一人で制作をしていると、どうしても独りよがりになってしまいます。メンバーと共に制作し、客観的な意見や否定的な意見をお互いに交換することで、それぞれの価値観をより深めることができています。だから新しいメンバーも常に欲していますよ。」と話してくれました。 個性の強いアーティスト同士が、真剣に共同作品を作る姿はとても真摯で魅力的な活動に写りました。
(レポ:kor) 


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ただの”空き地”は地域の人が立寄、気になるアートスポットへ 

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映像作品は、”空き地”をフラッグガーランドで飾り付けるコンセプトで作られていました(左)。訪れた人が自由に書き込みフラッグガーランドをつなげて増やしていくことができます(右)

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展示は2カ所で行われ、段々畑のようになった場所にも飾り付けられました(左) 

『すべ夏』の最新情報や展示情報については
アーティストのHPをご覧ください。
『すべては夏のために集合し、秋のために離散する』HP
『アタミアートウィーク』HP 

 

アーティスト架菜梨案(かなりあ)

世界が“愛”に溢れているから

Artist kanaria 

 

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2011年多摩美術大学 絵画学科油画専攻卒業以降、『ZEN FOTO GALLERY』などで、作品発表を続けるアーティストの架菜梨案。 

油絵を通じて、自身の周りに溢れている”愛”を表現しているとのこと。
デビューから3年。顕著に制作を続けている彼女ですが、在学中はアーティストをする気持ちは薄かったそう。そんな彼女を芸術の世界へと導いたものとは? 
ベリーダンサーとしても活躍している、魅惑的な架菜梨案に単独インタビュー。

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油絵はなんだかよく分からない
だから続けたい…

 ―まずは絵を書き始めたきっかけ、または美大を目指したきっかけを教えていただけますか?

油絵との出会いは、小学校5年生のときです。絵画教室に飾ってある油絵を見て瞬間的に「私もやってみたい!」と感じたことが始まりでした。でも、それから実際に触る機会はなかなかなくて、はじめて油絵を描いたのは中学での美術部。扱ってみると物質感とか、描き味がすごく好きでした。よくわからなくて、難しさもあるのですが、それも魅力的に感じました。ただ、そのころは服を作ることも好きで、絵をやろうか、服をやろうか、よく迷っていました。最終的に「服はとても明確だけれど、絵画はなんだかよく分からない、だからもっと突き詰めてやってみたい」と自分のなかでそんな思いになりました。はっきりと美大に行くと決めたのは中学2年生のとき。美術部で仲の良かった友だちも美術系の学校を目指していたこともあり、自然な流れでそう決めましたね。

訪れた東京でカルチャーショック
大阪を出ると決めた日

ただ、初めは出身地の関西の美術大学への進学を考えていました。地元でやりたかったし、「東京なんて行くもんか!」みたいに考えていた所もあったんです。考えが変わったのは高2のとき。友達3人で「ちょっと東京の絵も見ておこうか」みたいな軽い感じで、タマ美やムサ美の学園祭に訪れたんです。そしたら、規模も大きく、画風もさまざまで、関西との違いを当時はすごく感じました。友達も私もガーンと殴られたみたいにショックを受けて(笑)。それで、東京に行こうと決めたんです。浪人生をすることに決めてからは一人暮らしをしながら東京の美術予備校に通い、1浪で入学したのがタマ美でした。

作品が売れたことが
作家になる決意表明のきっかけ

―大学で過ごしていたときのこと、アーティストになろうと思った経緯を教えてください。

大学には入ったものの、初めはアーティストを続けようとは、あまり考えていませんでした。「卒業したら、きっと絵とは違うことをして生きていく」そうずっと考えていたんです。大学3年のころから、今の画風になってはいたものの、大学内でしか展示もしませんでしたし、講評で発表して、先生方の意見をもらって、それで終わりでした。だから、あまり“アーティスト”と言う自覚は芽生えていなかった。ただ学部生最後の4年生のときに「せっかくだから個展をやろう」と銀座のGallery 銀座フォレストで個展を開催したんです。きっと売れても2、3枚がせいぜいだろうと思っていたら、自分の予想に反して何枚も作品が売れたんです。それが社会にアーティストとしてコミットするきっかけになりました。「買ってくれる人がいるなら、これは私だけの問題ではないのかもしれない…」そんな風に考えたんです。また、その個展にたまたま、『ZEN FOTO GALLERY』のオーナーが来ていて、それが縁でそちらでも展示をさせてもらえる事になったんです。とても幸運なできごとでした。

すべては別々だけれど
つながっている

―作品について詳しく教えてください。

まず、私のアーティスト名を見てください。 「架菜梨案」“カナリア”という宛て字なんです。これは漢字の下の遍を見てもらうとすべて「木」という同じ文字です。そして、上はバラバラ。私のアーティスト感もこれと同じです。すべては多種多様でいろいろなもので溢れているけれど、根本ではみんなつながっている、と感じるんです。時間も、空間も越えて、世界はつながっている。キラキラしていて、命が溢れている。世の中には偏見とか、社会的常識とかもいろいろあるけれど、そういうものは真実じゃない。真実はもっと根本的で、大きな部分でつながっているものだと思うんです。  それはいうなれば「愛」です。愛が全てで、私の周りはつねに愛で溢れているんです(笑)。自分が生きて存在していることが、愛です。世界を愛してます。自分が関わっているものも関わっていないものも、広い意味では、つながっていると感じています。

 

―架菜梨案さんの作品の一つのタイプでは、人が登場しますよね。もつれ合っている人々。人間同士の関係のなかで生まれる「愛」もその一つですか?

そうです。それは男女でも女女でも男女男でも関係なく、愛の形としてあると思うんです。男と女が混ざって、何人いるか分からない状態も好きです。たぶん、あまり関係ないんです、生きている状態が愛ですから。(左絵画 2013「私たちは」)

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―架菜梨案さんにとって作品とはどういうものですか?

自分の絵画に対しての愛情は深くて、上手くいったときは「かわいいな、かわいいな」とすごく感じます。例えば、最近の作品では、冬の寒々しく、冷たいなかでの命を表現しようとオコジョが出てきたり、トナカイが出てきます。画面のなかで気に入っていると感じる、例えばオコジョの部分などは撫でたくなるほど、愛情を感じています。そして、かわいい子たちを、誰かに気に入ってもらえて、購入してもらえたら画家としてとても嬉しく感じます。(右絵画 2014「愛の新世界」細部) 

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物質的な問題で、売れないと部屋に絵画が溢れてしまうというのもありますが(笑)。
売れたら新しい絵が描けるから、やっぱり作品は売れて欲しい。

 

作家活動もどんなことも
自分の心に正直に生きれば見えて来る

 

私もアーティスト活動だけで、生活はまだできていなくて、夜の18時くらいから24時まで、アルバイトで働いています。ただ時間帯が夜だから、制作活動を確保しやすいですね。日中は制作を行う日もあるし、ベリーダンサーとしても活動しているので、練習や発表を行う日もあります。毎日、忙しいのはあまり好きではないので、今の生活は自分にあっていて、ちょうどいいです。副業を考えている人は、副業でも自分に合っているもの、やりたいものを探すことをお勧めします。
私は、自分らしく生きるために絵を描いている部分があり、さらに絵を描くことが生きること、思考することの原動力なんです。それは絵を描く原動力にもなっていると感じます。作家活動をなんとか続けたいと思う人も、作家にはならないと考えている人も、大学を出たら自分の正直な気持ちを原動力に活動すればいいと思います。]

 

ーこれからの予定を教えてください。

近く、7月に『アート大阪』というフェアがあり、そちらに『ギャラリー工房親』より出品します。ホテルのワンフロアーを貸し切って、さまざまなアーティストの作品が展示されます。大阪での展示ははじめてなので、古い作品から、新作まで発表する予定です。東京では8月に『ZEN FOTO GALLERY』で個展をする予定です。こちらは多分新作が多く並ぶと思います。
これからも、絵画に正直に真摯に向き合っていこうと思っています。

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架菜梨案プロフィール
1987 大阪出身
2011 多摩美術大学 
美術学部 絵画科 油画専攻卒業




ー展示歴ー
-グループ展-
2012. ワンダーシード2012 (トーキョーワンダーサイト渋谷)
2012. 39advance展 (Gallery 工房 親)
2012. ART KYOTO 2012 -アート京都2012- (京都 ホテルモントレ ZEN FOTO Galleryより)
2012. Strange Stories展 (ZEN FOTO Gallery)
2013. ワンダーシード2013 (ワンダーサイト本郷)
2013. 第一回損保ジャパン美術賞展Face (損保ジャパン東郷青児美術館)
2013. ワンダーウォール2013 (東京都現代美術館)
2013. 絵画を考える-colors- (Gallery 工房 親)
2013. 空想美術大賞展 (伊藤忠青山アートスクエア、京都 蔵丘洞画廊)
2013. Dアートビエンナーレ展 (堀科学芸術振興財団)

-個展-
2010. 架菜梨案個展 (ギャラリー銀座フォレス)
2011. 架菜梨案Painting Exhibition (ZEN FOTO Gallery)
2012. Kanariaradiance (ZEN FOTO Gallery)
2013. Song of Songs (ZEN FOTO Gallery)
http://kanariaroom.web.fc2.com/
架菜梨案の最新情報や作品情報・購入については
アーティストのHPをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

アートの話をするということ

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こんにちは。

美大の油絵学科を卒業したtkhskorです。

美大なんて卒業していますが、正直に言うと、今も昔も絵を描くのはそんなに得意じゃありません。子どものころは、クラスの中でも絵が下手くそで、賞など一度もとったことがありませんし、みんなで漫画を描いて交換することになっても、私の絵だけ選ばれないで残ってしまう始末でした。

そんな私が初めて芸術に出会ったのは美大受験をするために訪れた画塾でした。

私は絵が下手くそにも関わらず、漫画が好きだったため、密かに漫画家になりたいという夢を持っていたのです。

せめて画塾の先生に「君には才能が無い無理だ」と言ってもらえたら、「漫画家」という無謀な職業にも絵が上手くなりたいという気持ちにも諦めがつくだろう、という理由で美大予備校である画塾を訪れたのです。

 

ただ私はそこで画家•彫刻家など、いわゆる芸術家という人に会いました。

✳そこの予備校は、画家や彫刻家としても活躍してる方が講師でした。

それまで私は「画家」は歴史の中の人と思っていたので、現代でもいわゆる「画家」が存在しているのが衝撃的でした。

それほどアートに馴染みがなかったのです。

しかも、その予備校の先生は「才能がない」と言ってくれるどころか、デッサンを誉めてくれました。

 

そして、単純な私は芸大美大を受験することに。

漫画家になるという夢はなんとなく心にありましたが、それ以上に

それまで、何かに打ち込んだことがなかった私にとって、「芸大美大にいけるかもしれない!」は、自分ではない素敵な誰かになれるきっかけになるような気がしました。

 

ただ絵の勉強をはじめて半年くらいは絵画というものがまったくわかりませんでした。

それまで通りのへたっぴだったと思います。

ただ画家の先生が「これはかっこいいんだよ」「こんなのがいいんだよ」と教えてくれるのをよくわからないなりに、分かろうとした結果、徐々に「芸術とはこんなに素敵で、楽しく、そして自分に歩み寄って来てくれるものなのか」と思えるようになりました。

これは私の本質を大変豊かにしてくれた出来事でした。

 

この文章を読んでいるあなたは、ゴッホ、または北斎ダヴィンチなど、様々な画家たちをみて、大好きなロックバンドの音楽を聴いたのと同じ様な、または月9ドラマで感動したような、少年漫画を読んでうきうきするような、映画で泣く様な、それと同じ、またはそれ以上の感動を感じたことがあるでしょうか?

美術•芸術•アートと呼ばれているものたちは、古典であろうが現代であろうが、気軽な楽しさに溢れています。

それに気づくにはほんの少しのコツを知るだけです。

子どもから大人まで、美術は楽しむことができます。

たとえ現代美術が分け分からなくても、古典的な絵画がいかめしくても、アートは難しいものではありません。

むしろ映画や漫画、音楽などとまったく同じ魅力があります。

また芸術は、ほかのカルチャーと同じように作品をみるだけではなく、その作品を作った人自体にも魅力があることが多々あります。

有名だから、とか技術がすごいからと言う理由だけで、魅力が決まらないのも芸術のいい所だと私は思っています。

そんな芸術のお話を、たくさんの人たちに伝えたい。

ここはそんなブログです。